山陽から山陰へと結ぶ街道が整備され、ここは三次や松江、はたまた石見銀山とつながる重要な交通の要衝であったため、旅人や荷物を管理する「関」の機能と、旅の往来を支援するための「宿駅」を兼ね備えた役所が設けられたのです。 やがて通過する旅人や荷物も増えるにつれ、遠方からの物産品を扱う市場もたつようになりました。 人が集まり物が行き交う玄関口のこの場所を、誰いうとなく親しみを込めて「北の関宿」と呼ぶようになったのです。